マガジンのカバー画像

#せかいこどもチャンネル

18
明日少女隊では、休校中の子供達のために、ジェンダー、フェミニズム、アート、政治のテーマで、子供達の教材となるような動画を制作するプロジェクトを始めました。 「#せかいこどもチャ… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

小説家:林芙美子

「戦後女性感謝プロジェクト」第7段!紹介するのは林芙美子(はやしふみこ)です 1.どんな人だったの?林芙美子(1903年-1951年)は小説家です。有名な作品に自伝的小説『放浪記』、詩集『蒼馬を見たり』、長編『浮雲』などがあります。 (出典:「やまぐちの文学者たち」80人/林芙美子) 母と養父が炭鉱町を行商して回っていたため、林芙美子は小学校を転々としました。広島県尾道市で小学校を卒業した後は尾道市立高等女学校に進学。この頃から、地方新聞に詩や短歌を寄稿し始めました。女

ジェンダーバイアスの少ない子供番組

子育て中の隊員が、日本で見れる、ジェンダーバイアスの少ない子供番組について語り合いました。 矢川澄子隊員のオススメ 子供番組、「まずいところが少しでもあれば見せない」という判定をすると人間が出てくる番組が見られなくなっちゃうので、うちはだいぶ妥協してますが、以下はそのうえでのおすすめです。 ・ディズニージュニアで配信されている番組全般 いきなり地上波じゃなくてすみませんが、どの番組もジェンダー・人種・年齢・障がいなどに配慮されているので、お住まいの地域の地上波でやっている

小説家:佐多稲子

「戦後女性感謝プロジェクト」で今回紹介するのは佐多稲子(さたいねこ)です! 1.どんな人だったの?佐多稲子は、1904年に生まれ1998年に亡くなった小説家です。 彼女はプロレタリア文学の作家で、代表作には『くれない』などがあります。 (参照:https://hakameguri.exblog.jp/31015460/) 最初の作品『キャラメル工場から』を発表したのが、24歳のときの頃で、最後の随筆集をなくなる5年前の1993年に発表しており、非常に長い期間多くの作品を

女性解放思想家・社会評論家:山川菊栄

「戦後女性感謝プロジェクト」、今回紹介するのは山川菊栄(やまかわきくえ)です。 1.どんな人だったの?山川菊栄(1890年-1980年)は、東京都に生まれ、論壇で明快な論客として活躍した女性解放思想家、社会評論家です。 大正の時代にあって、早くも、“女性よりも男性の方が性欲が強いため、性産業が必要である“的な性規範のダブルスタンダードを批判しました。 現在、教科書にも掲載されている歴史上の女性たちといえば与謝野晶子や平塚らいてうですが、山川菊栄はこの両名の後輩世代にして

小説家:尾崎翠

「戦後女性感謝プロジェクト」、4人目に紹介するのは小説家の尾崎翠(おざきみどり)です! 1.どんな人だったの?尾崎翠(1896年-1971年)は鳥取県に生まれ、7人兄弟姉妹の真ん中として育ちました。面影尋常高等小学校高等科を首席で卒業する頭脳の持ち主でした。 16歳の頃、「たかね」に詩歌を投稿し始めました。鳥取高等女学校本科・補修科を卒業後、「文章世界」に短歌一首「漁村の新生活より」が掲載されました。19歳で、「文章世界」の散文欄で『朝』が第一席に入選。『雪のたより』も掲

第6回 フェミニズム・リサーチ・ライブラリ:明日少女隊(尾崎翠隊員)×嶋守さやか(桜花学園大学)

桜花学園大学の嶋守さやか先生に、明日少女隊 発起人の尾崎翠がインタビューされました。ぜひ、ご高覧ください。 前半では、明日少女隊について、ビリーブキャンペーン、広辞苑キャンペーンなどについて語っています。 インタビュー後半では、LA、ソウル、東京で行った慰安婦問題を扱ったパフォーマンスや、アート界の#metoo 、明日少女隊のマスクについてなど。 **************************************************************

随筆家:白洲正子

今回は随筆家の白洲正子(しらすまさこ)を紹介します! 1.どんな人だったの?白洲正子(1910年-1998年)は東京生まれで、読売文学賞を二度受賞した随筆家です。 (参照:https://buaiso.com/about_buaiso/masako.html) 樺山伯爵家の次女として生まれました。4歳で能を習い始め、14歳の頃、女性として初めて能舞台に立ちました。 (参照:https://buaiso.com/about_buaiso/masako.html) その

教育者・女性解放運動家:河崎なつ

「戦後女性感謝プロジェクト」、2人目に紹介するのは河崎なつ(かわさきなつ)です! 1.どんな人だったの?河崎なつ(1889年-1966年)は奈良県に生まれた教育者・政治家・女性解放運動家です。働く母親の権利をうったえ、女性差別と戦いました。 奈良女子師範学校卒業後、奈良県五條市の小学校で教師として働き、その後東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)に進学しました。1921年には与謝野晶子や西村伊作らと共に、文化学院を創立し、日本で初の男女平等教育を実施。国語を教えて

ファッションデザイナー:杉野芳子

「戦後女性感謝プロジェクト」へようこそ。 今回はファッションデザイナーであり、学校経営者でもある 杉野芳子( すぎのよしこ)を紹介します! 1. どんな人だったの?杉野芳子(1892年-1978年)は千葉県に生まれ、ニューヨーク留学を経て、帰国後に日本で活動したファッションデザイナー・学校経営者です。 22歳のときに単身で渡米し洋裁を学び、日本で杉野学園ドレスメーカー学院を創立。服飾技術を身に付けることで、日本の女性が自立できるようにという想いを持っていました。「ドレメ式

ジュリア・ロバーツの #フェミ映画 とコロナ対策!

今年4月の岡本隆史の女性蔑視発言に対して、相方のやべっちが「結婚をして環境を変えた方がいい」という発言をしたことで、ジュリアロバーツのこちらのメッセージ画像に再び注目が集まっているようです。 この画像は、アメリカでもネット上で広く拡散されているものですが、実は、実際にジュリアロバーツがこのような発言をしたかどうかは定かではないのそうです。とはいえ、ジュリアロバーツは、まさにこのようなメッセージを発信している、3つの #フェミ映画 の主演女優を勤めています。 1995年〜2

嫌韓ってなんだ?

こんにちは!明日少女隊の佐多稲子です。東京から発信します。 今日は、コロナ危機と嫌韓の話をします。 嫌韓って、どういう意味だか知っていますか?嫌韓とは、韓国や韓国人、在日コリアンの人に対して、不信感や差別的な気持ちを持つことを言います。 日本では、これまでも嫌韓の雰囲気は、事あるごとに盛り上がり、ヘイトスピーチやヘイトデモも大きな問題となっています。そして、今回のコロナ危機の局面でも、日本人の持つ、韓国の方への差別があらわになりました。 在日コリアンとは 例えば、在日コ

嫌中ってなんだ?

日本にも民族差別(みんぞくさべつ)があるってほんとう? 嫌中編 今、コロナウイルスの影響で、もともとひどかった日本国内での中国人コミュニティーに対する差別がますます強まっています。 差別とは、特定のコミュニティーに対して、 扱いに違いをつけたり、暴言を言ったりすることです。 私たちは、中国からの留学生の隊員と共に、この問題について考えるための動画を作りました! 対象:小学校高学年以上〜 注)私たちは、アートグループのポリシーとしてマスクをかぶっています。詳しくは、こ

【よみきかせ】 わたしの からだは わたしの もの

ここちのよい さわられかた いやな さわられかた  おなじ さわられる でも いろいろ あるよね いやな さわられかたをしたら、「いや!」って いって いいんだよ おとなの方へこの本は、ICAP(The International Center for Assault Prevention)という、子供達を虐待から守るために1978年に設立された団体が、アメリカで発行している本です。 この本の前書きには、 ・自分の体に誇りを持つこと ・自分自身で相手との境界線を定めて良

観るだけで元気が出る5つの #フェミ映画!

外出自粛で、家にいる時間が長くなる今こそ、見逃していたフェミ映画を見てみませんか?今回は、コロナ危機の暗いニュースに打ち勝つための、元気の出る、エンパワメント系フェミ映画を集めました! フェミ映画を観てセルフケア、はじめてみませんか? 1:バトル・オブ・ザ・セクシーズ/Battle of the Sexes 舞台は1973年アメリカ。テニス界の女性差別に声をあげた、エマ・ストーンが演じる全米女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キング。 女性が権利を主張すると、わずかな