【現存する最大級の被爆建物・旧広島陸軍被服支廠倉庫を全棟保存してほしい】

【現存する最大級の被爆建物・旧広島陸軍被服支廠倉庫を全棟保存してほしい】

開始日
2019年12月9日
署名の宛先
広島県知事 (広島県知事)
オンライン署名成功!(認証済み)
48,656人の賛同者により、成功へ導かれました!

この署名で変えたいこと

広島市南区出汐町には、1913年(大正2年)建造の大きな赤レンガ倉庫が4棟残っています。これは1907年(明治40年)から続く旧陸軍被服支廠(ひふくししょう)の一部で、1945年8月6日の原子爆弾投下を経験した被爆建物でもあります。この規模のレンガ造りの建物が残っているのは日本で唯一です。被爆後も学生寮や物流会社の倉庫として活用され、100年以上にわたって広島の街の中にあり続けています。

しかし、耐震強度が不十分であり、維持管理のための財源が確保できないという理由から、4棟のうちの3棟を管理する広島県は、1棟のみを残して残りの2棟を解体する方針をまとめました。また、国が管理する1棟も解体を視野に入れた検討がされていると報じられています。

(参考:中國新聞(12月2日)

被爆の歴史だけでなく、それよりもっとずっと前からの広島の姿を残す街のシンボル。長きに渡って様々な歴史を物語ってきた建造物を4棟すべて後世に残してほしい。その理由は以下の通りです。

----------------------

①建築物としての希少性

1910年代に建てられたこの建物は、国内で最も古いレベルの鉄筋コンクリート造です。外壁にレンガを使用する旧来の形を残したまま、内部にコンクリートを用いる造りは珍しく、大変貴重な建築的価値があります。1棟の長さは94メートルあり、3階建てで高さ17メートル。4棟がL字型に並んだ建物群は、明治時代にこのような技術があったこと、そしてこの建物をつくる必要があった時代背景や当時の価値観等を如実に語っています。


専門家は、「きちんと調べれば国の重要文化財にも指定される価値がある」と言います。

(参考・引用:NHK NEWS WEB (12月5日)

 

②軍都であった広島の姿を伝えるほぼ唯一の建物

旧広島陸軍被服支廠倉庫は、糧秣支廠、兵器支廠と共に宇品港(現在の広島港)から出征する兵士の装備を整えるために重要な役割を果たしました。ここでは、衣類や鞄、ベルト、靴等を保管、調達、洗濯、配給などしており、多くの職員、動員学徒、また朝鮮半島等からの労働者が働いたことが記録されています。

東京と大阪と広島に置かれた被服廠・支廠のうち、建物が残っているのは広島のみです。現存の4棟でさえも当時のほんの一部であり、その敷地の広大さと建物の壮大さをもって、広島だけでなく日本全国で見ても、戦争中の軍需施設の営みを残すことができる非常に貴重な建物です。戦争中、宇品港に戻ってきた兵士の服は血だらけで弾丸の跡もあり、それをここで働く人達は洗濯し、使いまわしていたという話も残っています。

③被爆建物として原爆の威力を物語る

爆心地から2.7kmの所に位置するこの建物は、外壁が爆風による強烈な爆圧振動により持ち上げられ、一部が広島平和記念資料館に展示されています。また、曲がったままの鉄扉がそのままに残されており、原子爆弾の威力がどれほどであったかを、物言わず語る建物です。

また、市内中心部から爆弾による火災を避け、逃げてきた人たちの多くがこの建物を目指しました。建物の中に寿司詰めに並んだ負傷者や、身元のわからないまま亡くなった人が無数にいたことを多くの体験者が語っています。「にんげんをかえせ」の詩で有名な峠三吉も『原爆詩集』の中で「倉庫の記録」としてその惨状を綴っています。

現在も、平和学習の一つの拠点として、市民団体や修学旅行生等の学びの場としても活用されています。「戦争について知っているつもりだったけど、ここに来ることで知らないことに気が付いた」と多くの人が感じています。

この場所で学徒動員中に被爆した中西巌さん(89歳/当時15歳)は、この広大な敷地の中に敷き詰められた傷病者たちが、次々に息絶えていく様子を見た少年の一人です。黒こげの赤ちゃんを抱いたまま動かなかった女性を忘れられないと言います。「ここでたくさんの人が亡くなったことを、人間は忘れてはいけない。」当時中学生だった彼は、この建物を残すために、老体に鞭打ち、今もなお、存続を訴えて踏ん張り続けています。

(参考:中國新聞(12月3日)

広島の歴史を語る建物を、最大限残す努力を求めます

原子爆弾によって多くの建物が破壊され、広島は焼け野原となり、それまでの人の営みは消失しました。そして、これまでいくつもの被爆建物が、耐震強度の不十分さと財源確保の困難さ等から、解体を余儀なくされてきました。かろうじて原子爆弾を生き延びたこの建物を、人の手によって解体してしまうことに異議を唱えます。

国際平和文化都市「広島」は、モノクロの焼け野原から始まった街ではありません。原子爆弾で焼け野原になるよりも、ずっと前から続いていた人の営みの面影がここにはあります。この建物と場の語る歴史を、しっかりと後世まで残したい。広島が、残す覚悟と努力のある街であってほしい。

私達は、旧広島陸軍被服支廠倉庫を現存のままのかたちで4棟残すことを、強く希望します。そして管理者である広島県が、議論を重ね、全棟の保存に向けた最大限の努力を進めることを望みます。


--------------------

(参考情報)


アーキウォーク広島 建築まちあるき

旧広島陸軍被服支廠の安全対策に関する広島県知事への会見(12月3日)①

旧広島陸軍被服支廠の安全対策に関する広島県知事への会見(12月3日)②

中国新聞デジタル「被服支廠1号棟の活用策探る」(12月4日)

毎日新聞「被爆の旧陸軍被服支廠2棟解体へ 広島県方針、市民団体は反発」(12月4日)

朝日新聞「広島)「苦渋の決断」県が説明 旧被服支廠2棟解体案」(12月5日)

読売新聞「「被爆建物、残せないか」ツアーで解体残念がる声」(12月8日)

オンライン署名成功!(認証済み)

48,656人の賛同者により、成功へ導かれました!

このオンライン署名をシェア

このオンライン署名のQRコードです。スマートフォンなどの画面上で表示させるほか、ダウンロードしてチラシやポスターなどの印刷物に使うこともできます。QRコードをダウンロードする

意思決定者(宛先)

  • 広島県知事 広島県知事