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熊本県の蒲島郁夫知事が19日、2008年に自ら「白紙撤回」した川辺川ダム計画の復活を容認する意向を表明した。09年に旧民主党政権が計画を中止した後、国や県などが模索したダムに代わる治水策が決まらないまま7月の九州豪雨で本流の球磨川が氾濫し、方針転換を余儀なくされた。知事は「流水型ダム」を軸に遊水地の整備など流域全体で被害を防ぐ「流域治水」を目指す考えを示したが、実現には紆余(うよ)曲折も予想される。【平川昌範、城島勇人】
旧民主党政権の国土交通相として2009年に川辺川ダム建設計画の中止を表明した前原誠司衆院議員に、当時の判断の是非などを聞いた。主なやり取りは次の通り。
――ダム計画を中止した背景は。
◆公共事業を見直すことが民主党政権の使命だった。83のダムが計画から40年、50年たっても本体工事に着工しておらず、川辺川ダムもその一つだった。立ち止まって本当に必要か判断する必要があった。重要視したのは治水の必要性と地元の意見だ。
――国交省は「ダムがあれば人吉地区の浸水面積を約6割減らせた」との推計を示した。
◆推計は正しいと認識しているが、結果論だ。雨の降り方や位置によって被害のあり方は異なる。ダムの下流で線状降水帯やゲリラ豪雨があった場合は有力な役割を果たさない。森羅万象、どんな雨にも対応できるかは分からない。
――「被害はダムを中止した旧民主党政権による人災だ」との声もある。
◆ダムの中止は、県が代替策を講じるという前提だった。しかし結果として、国が代替措置に協力すると言いながら、(自民党政権に代わって)されなかった。被害が出て亡くなられた方がいることは極めて遺憾だ。
――蒲島知事のダム容認の判断をどう考えるか。
◆代替策をまとめられなかった中での判断だと思う。…
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