夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第五節 [法における理性]

2020年04月29日 | ヘーゲル『哲学入門』
 
§5

Es folgt hieraus, dass kein Mensch gezwungen werden kann, als nur dazu, den Zwang, den er Andern angetan hat, aufzu­heben.

Erläuterung.
Es gibt Beschränkungen der Freiheit und Gesetze, welche es gestatten, dass Menschen nicht als Personen, sondern als Sache(※1) behandelt werden, z. B. die Gesetze(※2), welche die Sklaverei erlauben. Diese sind aber nur positive (※3)Gesetze, Rechte und zwar die der Vernunft oder dem absoluten  Recht(※4) entgegenge­setzt sind.

§五〔法における理性〕
このことから、他者に加えた強制を排除する場合をのぞいては、人は誰も強制されることができないということになる。

説明
人間を人格としてではなく事物として取り扱うことをみとめるような自由や法律には、たとえば、奴隷制をみとめるような法律などには、限界がある。これらは、しかし、たんなる実定的な法制であり法律にすぎないのであり、実に理性や絶対的な法に反するものである。


(※1)
 人格(Personen)と 事物 (Sache)
ふつう、日本語では「人と物」という言い方で対比される。日本語でも「人を物扱いにする」という。Sache はふつう「事柄」と訳されるばあいが多いが、ここでは物、品物、所有物。人間がたんなる「物」でないのは、前節でも述べられていたように、人間が自我性(die Ichheit) と 個有性(die Einzelheit) を合わせもった人格(eine Person)だからである。

(※2)
法制(die Gesetze)
ここでは奴隷制(die Sklaverei)を例に挙げているので die Gesetze は法制と訳した。以下の行にも、die Gesetze や die Rechts は英語の law に相当する法律、法令とか法規の意味で、 道理とか正義の意味を合わせもった法 das Recht とは対比して用いられている。大文字の上位概念の自然法、 法(das Recht)とは明確に区別されている。

(※3)
ここで positiv に 「たんなる nur」を形容しているように、必ずしも「肯定的な」意味では使われていない。それは、ヘーゲルにおいては、たんなる「現実」「実定的な」「実証的な」ものは、つねに理念との関係で批判的に考察されているからである。

positiv
 a 現実の、実在的な、実際的な、具体的な
 b 実証的な
 c 積極的な、明確な、確固たる
negativ(否定的な)との対義語としての positiv は、
 a 肯定的な、肯定の
 b 都合の良い、有利な
 c 陽性の

(※4)
Vernunft 
哲学においては「理性」と訳される。ここで、dem  absoluten  Recht
(絶対的な法、道理、正義)と等置しているように、Vernunft は 形而上学的な理念であり、ヘーゲルの全哲学は この Vernunft  の内容を明らかにすることを目的にしているといえる。ギリシャ哲学やキリスト教の 「ロゴス」(logos)(λόγος)の概念を引き継いでいる。






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